近世におけるハーブの歴史は、様々な変化が見られます。特に、ハーブ療法などの伝統医学の衰退は大きな問題として浮上しました。では、近世から近代にかけて、ハーブの扱いはどのように変わってきたのでしょうか?
近世:ハーブの歴史
ルネサンス期におけるハーブの発展
14世紀から17世紀にかけてヨーロッパで起こった文化的、知的な復興の時代、ルネサンス期。近世のハーブの歴史において重要な時期になりました。
近世のハーブの歴史の中で、ルネサンス期は、古代ギリシャやローマのハーブ文献が再発見され、翻訳される時期でした。
特に、古代ギリシャの医師ヒポクラテスやガレノスの著作が重要でした。これらの著作は、ハーブの医療使用法に関する詳細な記述を含んでおり、中世また近世ヨーロッパの学者たちはこれらの文献を研究し、再評価しました。
ハーブガーデンの設立
ルネサンス期には、多くの大学や修道院でハーブガーデンが設立されました。これらのガーデンは、ハーブの栽培と研究の中心地となりました。特にイタリアのパドヴァ大学やイギリスのオックスフォード大学などで設立されたハーブガーデンが有名です。これにより、ハーブの栽培方法や医療利用についての実地研究が進みました。
近世の歴史に残るハーバリスト
16世紀のスイスの医師、薬草学者のパラケルスス。
パラケルススは、ハーブの治療が単に一般的なものではなく、個々の患者の体質や症状に合わせて調整するべきだと強調しました。さらに、彼は自然界の力を信じ、ハーブの使用においても自然と調和を図ることが大切だと考えました。また、伝統的な知識だけでなく、自らの実験や経験を基にした実用的なアプローチを重視したのです。彼はハーブの効能を科学的に検証し、実証することを提唱しました。
近世、ルネサンス期の知識と科学の発展の中で、彼の考え方はハーブの歴史における医療と薬草学に大きな影響を与えることになります。
ルネサンス期には、パラケルススのような革新的な医師が登場しました。彼は、ハーブの化学的性質と薬理作用に基づく新しい医療理論を提唱しました。パラケルススは、特定のハーブが特定の病気に効果があると考え、実験と観察に基づく治療法を確立したのです。
近世のハーブ文献
近世のハーブに関する文献は、古代や中世の文献に基づいて書されています。
文献は植物学者、医師、薬剤師などによって執筆され、ハーブの識別、栽培、利用法について詳細に記述されています。これらの文献は、ハーブの医学的な利用だけでなく、民間療法や日常の健康管理にも役立てられていました。
近世・近代における重要なハーブ文献
文献:デ・マテリア・メディカ(ディオスコリデス)ギリシア
古代ギリシャの医師で薬剤師のペダニウス・ディオスコリデスによって1世紀に書かれた薬学の書物ですが、ルネサンス期には、『デ・マテリア・メディカ』が再発見され、多くの学者や医師がその知識を基に新たな研究を行いました。
さらに、印刷技術の発展により、16世紀以降は多くの版が出版されました。その後の西洋医学と薬学に多大な影響を与え、近世に至るまで広く参照され続けました。
文献:ハーブ大全(ジョン・ジェラード)イギリス
1597年、イギリスの植物学者ジョン・ジェラードが出版した書籍『ハーブ大全』。ジェラードは、イギリスの植物学者であり、医師および薬草学者としても知られています。
この『ハーブ大全』には、各薬用植物の治療効果や使用方法が詳述されいます。例えば、風邪、消化不良、炎症、皮膚疾患など、さまざまな病気の治療に役立てられてきました。
さらに、本書では各植物の栽培方法や家庭菜園、農業に関する情報も提供されています。ハーブの料理や香料としての利用法についても記載されています。
文献:プランタルム・ヒストリア・オキデンタリス(ロバート・モリソン)イギリス
ロバート・モリソンが17世紀後半に執筆した『プランタルム・ヒストリア・オキデンタリス(Plantarum Historiae Occidentalis)』は、主に中国やその他の東アジア地域に自生する植物に関する重要な文献です。
さらに、この書物では、モリソンがアジアで収集した植物の詳細な記録が提供されており、その地域の植物学的な知識の拡充に大いに貢献しました。具体的には、植物の分類、特性、利用法などが詳しく記されており、当時の植物学者や研究者にとって貴重な情報源となっています。
近世のハーブ歴史:薬学の始まり
植物療法が医学の主流であった時代は19世紀半ばから陰りを見せ始めます。ハーブの歴史の転換期です。
サリシンの発見
鎮痛、解熱、抗炎症作用で知られる『サリシン』は、特にセイヨウシロヤナギなどの樹皮に含まれる天然化合物です。
1827年にドイツの化学者フリードリヒ・セルバムによって、サリシンはセイヨウシロヤナギの樹皮から初めて分離されました。また、セルバムは、アヘンからモルヒネを初めて分離したことで有名ですが、サリシンの発見もその業績の一部です。
古代から、セイヨウシロヤナギの樹皮は解熱剤や鎮痛剤として使用されていました。このサリシンの発見により、その成分の薬理的な効果がより深く理解されるようになりました。
そして、サリシンの発見を機に、植物療法やハーブ療法は大きく変わっていくことになります。
アスピリンの合成
1838年に、イタリアの化学者ラファエル・ピリアがサリシンをサリチル酸に変換する方法を開発しました。
サリチル酸は、サリシンと同様に鎮痛、解熱、抗炎症効果があることが確認され、広く利用されました。しかし、サリチル酸は胃腸に対する刺激が強く、胃痛や消化器障害を引き起こすことがありました。
さらに改良は進み、サリシン自体は、体内でアセチルサリチル酸(アスピリン)に変化することがわかりました。サリシンは体内でサリチル酸に変わり、さらに化学的にアセチルサリチル酸が合成されることで、強力な抗炎症作用を持つアスピリンが誕生しました。
1897年に、バイエル社の化学者フェリックス・ホフマンがアセチルサリチル酸を合成し、『アスピリン』として商業化しました。これにより、アスピリンは広く利用されるようになり、抗炎症、解熱、鎮痛作用があることで医療に革命をもたらしました。
近世のハーブの歴史の中で、サリシンの発見からアスピリンの開発に至るまでの過程は、薬学と化学の進展を象徴するものです。サリシンは古代から薬用植物として利用されてきましたが、19世紀にその成分が科学的に分離され、さらに改良されてアスピリンとして広く普及しました。
このプロセスは、薬物の合成と改良の重要性を示し、現代医薬品の開発における先駆けとなりました。
ペニシリンの発見
1928年にイギリスのバクテリア学者アレクサンダー・フレミングが『ペニシリン』を発見しました。1940年代にペニシリンの量産が可能となり、細菌感染症の治療が劇的に改善されました。ペニシリンの成功は抗生物質の研究を大きく促進し、さまざまな抗生物質が開発されました。
こうして、ペニシリンの発見は医療の歴史において画期的なものであり、多くの命を救い、現代の医療における抗生物質の基盤を築いたのです。
化学合成の進展
1856年にイギリスの科学者ウィリアム・ヘンリー・パーキンが初めて化学染料モーベイン(モーブ染料)の合成に成功したことで、化学合成の技術が大きく進歩しました。これにより、ハーブや天然物に依存しないで化学物質を合成する可能性が広がったのです。
モーブ染料は、鮮やかな紫色を持ち、シルクやウールなどの繊維に対して非常に強い染色力を持っていました。
この発見は合成染料産業の始まりを告げるものであり、化学工業の発展に大きな影響を与えました。
結果として、ハーブや植物から得られる自然染料の使用は、徐々に減少していきました。
ハーブ・植物療法の衰退
科学革命
古代から続くハーブの歴史ですが、ここで大きく後退してしまいます。17世紀から18世紀にかけて、科学革命が進展し、医療の分野でも大きな変化が起こりました。特に、実験と観察に基づく科学的方法が確立されたことで、病気の理解と治療法の開発が飛躍的に進みました。しかし、この過程で多くの植物由来の治療法は科学的に証明されないことが多くなり、次第にその地位を失っていきました。
さらに、薬学の発展により化学的に合成された薬が登場しました。これにより、植物から抽出した成分を利用するよりも、より純度が高く効果的な治療薬が作られるようになりました。このように、合成薬の普及がハーブ治療の衰退に拍車をかけました。
伝統医学の衰退
ハーブの歴史において、近世は薬学や化学の発展など、激動の時代でした。このような医学と化学の進展により、古代から続く伝統医学は次第に衰退へと追い込まれてしまいました。
例えば、ヨーロッパでの植物療法が減少する一方、古代インドから続く伝統医学のアーユルヴェーダの学校も閉鎖されました。また、アジアでもその影響が広がり、中国においても伝統医学の学校が閉鎖される事態となりました。さらに、日本でも同様の変化が見られ、1883年には医師免許に関する法律が改正され、漢方医が医師免許から外されることとなりました。
ハーブ・植物療法の変遷
前述したように、19世紀から20世紀初頭にかけて、西洋医学の発展とともに、伝統的なアプローチは「非科学的」と見なされ伝統的な植物療法は次第に衰退しました。
しかし、医学の主流となっていた近代医学は薬害や副作用といった医薬品の問題が見え始め、人々が化学薬品や人工的な治療法に対する不安を抱くようになりました。
代替医療としての植物療法
20世紀に入ると、近代ハーブの歴史においても大きな変化が訪れました。人々は近代医学で使用していた医薬品や化学薬品、治療法に対する疑問を持ち始めた結果、自然志向の再認識が進み、ハーブや伝統医学の治療法に注目が集まるようになりました。
さらに、治療よりも予防を重視し、身体的健康だけでなく心と精神の健康を含めた全体の調和を重んじるハーブ・植物療法や伝統医学、特にアーユルヴェーダなどの代替医療が得意とする分野が再度注目されるようになりました。
加えて、1960年代から1970年代にかけて、反体制運動や健康ブームの影響で、自然療法やオーガニック製品への関心が高まりました。この時期には、代替医療としての植物療法が注目され、各国でハーブ療法や自然療法が再評価されるようになりました。
*代替医療とは、伝統的な西洋医学(主に西洋の病院で行われる医療)に代わって使用される、または補完的に用いられる医療手法のことです。
ハーブ療法・植物療法、鍼灸、カイロプラクティック、ホメオパシー、マッサージ療法などを指します。
統合医療としての植物療法
1980年代から1990年代にかけて、統合医療(Integrative Medicine)が広まり、現代医学と代替医療を組み合わせるアプローチが一般的になりました。この流れに伴い、ハーブ・植物療法や伝統医学も重要な役割を果たすようになり、多くの医療機関で統合的な治療法として取り入れられるようになりました。
さらに、植物に含まれる有効成分についての科学的研究が進み、実際に効果が確認されるケースが増えました。その結果、植物療法が医学的にも認められるようになったのです。
統合医療では、科学的な根拠に基づいて治療法を選び、患者のニーズや希望に応じて、近代医療と代替療法を組み合わせます。このため、ハーブ・植物療法や伝統医学の効果が科学的に証明されることが重視されています。
統合医療としての植物療法の活用方法
補完的な治療: ハーブ・植物療法は西洋医学の治療と併用し、症状の軽減や生活の質の向上を図るために用いられます。
予防とウェルネス: 健康維持や病気の予防を目的とした使用が推奨されています。
こうして、近世におけるハーブの歴史は紆余曲折を経ましたが、医薬品や化学の発展の中で、
ハーブ・植物療法や自然療法の重要性が再度認識されるようになりました。